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春風一過


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シンちゃんさん:3月22日(水) 20時54分

フォトアルバム[520232]フォトアルバム[520232]フォトアルバム[520232]フォトアルバム[520232]

 >在日と左翼たちがさまざまに姿形を変えて新聞、テレビ、政治、市役所、大学、日教組などに髑髏を巻いています。さらに図書館という公的機関が、購入される図書の多くが左翼の価値観で占められています。つまり図書館という公的機関によって国民が知りえる情報に制限が加えられているということです。それからもう一つ在日左翼がキリスト教会にもすっかり根を下ろしています。

西洋風の価値観ですね。

 >左翼の常套句は「すべての人間は平等でなければならない」「世の中のあらゆる差別をなくさなければならない」この言葉を聞けばほとんどの人は抵抗することはできません。

哲学ですね。日本人には、難しい考え方ですね。

 >そして在日左翼はみんな微笑みとともに近づいてきます。左翼の誰もが純粋で真っすぐで、正義感にあふれているように見えます。

‘純粋である’ ということは、’処世術に長けていない’ ということですか。

 >しかしよく考えてみてください、地球上に存在するすべての人間は、決して平等の運命にあずかれるようになっていません。ひとりひとりの運命の違いは神以外にはどうにもならないのに、左翼たちは運命の不平等を社会の不備や政治のせいにして善人たちを左翼に染めていきます。

もし、社会の制度の不備や政治の貧困が原因であるならば、それは改善の余地がありますね。理想に向かって励むことは、人を幸福にすることではありませんか。

 >全ての人間は生まれながら不平等や差別の運命から逃げることはできません。金持ちの家に生まれる人、極貧の家に生まれる人、人間は出発点から大きな違いやハンディが存在しています。

人間万事不平等ということですか。我々の努力の余地がない。現実肯定主義では閉塞感にさいなまれますね。’我らはどこに行くべきか’ に答えを出すべきでしょう。

 >しかしそのハンディを恨んで社会や政治に転嫁して日本人でありながら、日本人としての国民意識を投げ捨てて、よその国がふりかざすタテマエを信じると、祖国に害をなす売国奴となり果てます。

自国の理想の実現に向かって励みましょう。頭の外側の内容 (現実) と頭の内側の内容 (理想) が一致いることは、まず無いでしょうがね。改善の余地はあるでしょう。

 >日本の共産主義者や社会主義者が反国家の姿勢をとり、反日本の構えを見せ、日本国に背き、日本国を非難し、常に日本国の過去と現在を攻撃する人たちは、祖国に害をなす売国奴になっていることにきがついていません。

そうですね。建設的ではありませんね。消去法の達人が多くいますね。未来社会が脳裏に描かれていないから、その建設は考えられませんね。
悪いところがあれば改めればよい。我が国は、さらに良くなる。

 >日本の左翼の多くは不思議と東大や京大など一流と言われている大学出身者が多くいます。この人たちが日本の中心にいて日本国をリードしていきます。戦後左翼全盛時代、自分たちが国民を教え導いてやっているのだとうぬぼれる優越感で新聞や評論家などは左翼風の説教をまき散らしていました。

頭でっかちになっている人たちですね。詰め込み教育の成果でしょう。

 >国民も彼らの出身校や肩書を見て、頭の良い人たちが言っているのだから間違いはないと信じてしまった。

権威主義ですね。自分で考えるよりも、相手の言うことを信じる方が楽ですからね。

 >左翼は「日本人は愚かで考えなしで思慮分別に欠けているから、常に説教をしないと神聖な憲法第9条をないがしろにするからいつも怠りなくタガをはめてやらなければならない」と日本国民を徹底して見下していました。

階称(言葉遣い)ある日本語によれば、序列メンタリティは避けられませんね。権威を笠に着るようになる。

 >しかし戦後70年国民もやっとアホで間抜けなのは左翼の方だと分かってきました。人間平等の極致を実現するはずの共産主義が、実際には世界史上に空前の圧制と虐殺を生んでいたのです。そして「国民を守るために防備に熱中するから相手国の敵愾心をそそるのであって防備さえしなければ先方も安心して、こちらに敵意をもたなくなる」という左翼の理想主義への幼稚な傾斜、誰でも首をひねるアホな理論に振り回されてきたのです。

そうですね。力は正義ですね。(Might is right.) 強者の怒りは抑止力となる。

 >世間は、大衆は、あくまで真にものを見ようとはしません。その出身校や経歴で判断しています。例えば僧侶を見るときその人格能力というものを吟味せず、ただ、その「外形」すなわち袈裟に尊敬をはらい、供養もします。このことはなにも僧分に止まらず、新聞、テレビ、評論家、大学教授、その他、広くは社会的に地位の高い人たちの意見が正しいと信じてしまいがちです。

内部がない。外形にとらわれる。気分・雰囲気に流されやすい。信心・信念ですか。

 >さて自分はふと自分自身にかえる。自分はしかしどうだ。自分はいったいこの社会で何をしているのか、どんな役割を占めているのか、輝きのない、ほんの一人の老人にすぎない。日本という弱弱しい国の、その一角に立つ枯れかかった樹木にすぎないではないか!

みじめですね。人は力を合わせて生きるものです。頑張りましょう

 >しかしこの貧弱な存在を措いて自分にはどこにも世間に立つべき場所はない。私にとってはただ、この拙いブログを掘り下げ、これを掘り下げてゆくだけが、私のなしうる唯一つの、仕事だと信じています。

貴方は、考える人ですね。尊敬します。

 >私は常に自分の胸に言い聞かせます.自己の弱小を忘れて何か世間のお役に立ちたいと思いますが、私はふたたび自分の弱小を恥じます、自分はやはり自分の力しかない。

我々は、身分相応で良いのではありませんか。

 >人生の潤いというものは、決して自分だけの境地に安立している者に味わう事は出来ない。すすんで、自己の一身一命を投げだせば、自分の中に宗教的な心のときめきを感じます。そこに私はいつ死んでもいい自覚をかすかにうちに感じます。

我々は、共に助け合って生きるものなのでしょう。

 >そしてブログを書き始めてから強迫され続けた結果うつ病になり長く苦しめられました。生きてゆくことは、一日を送り、一日を迎えるということは、まこと,死の領土にちかづいているということです。いかに盛んなる者も、かならず衰える日のあるという、なんとも抜きさしのできない、逃げることも、どうすることもできないところの一つの哲学を与えられました。

生物は生死を繰り返して進化してきました。生まれ変わりが無くては、我々は姿を変えられません。

 >つまり死についてのたしなみとか、しつけであります。生きる事だけが生命の全体ではないこと、真実に生きるためには身命を惜しまぬ心境のあることを知りました。

我々の願いは死後も残ります。願いは死なない。

 >春風一過、春の風がなごやかに頬をなでるというような、のどかな気持ちで静かに死んでゆきたいものです。

願わくは 花のもとにて、、、、ですか。同感です。


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