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生存の時間


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シンちゃんさん:3月26日(日) 10時36分

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 >経済活動の時間は外在的な時間であるために時計で計ることができ、世界中の人びとが共有できます。
 >そのような時間は、ベルクソンによれば「現在」という点の一次元的な集合であって、現在、現在、現在・・・・と瞬間が切れている現在の集まりなのです。

日本人が、’まだか、まだか、まだか・・・・・’ といらいらしながら待つことですね。ナウな感じがしますね。一寸先は闇、過去は疾く風化する。

 >そのように切れていることによって、開始と終了の時を計ることができるので競争の勝ち負けを決めるために使うことができます。
 >ですから、外在的時間は「競争の時間」でもあります。また、同じ理由によって利子の計算に使うこともできます。

‘今だけ、金だけ、自分だけ’ の処世術の応用で勝ち負けが決まる。

 >一方、居場所において「生きていく」時間は内在的な時間であり、人間が、自分が生きていくことを「行く河の流れ」にたとえるときに意識される時間であり、ベルクソンの言葉を使えば、切れずに続いていること自体に大きな意味がある時間なので純粋持続と呼ばれました。
 >その実態は、主客の二つに分離できない自己の〈いのち〉そのものを感じていることから現れるものですから、外に取り出して測定することはできません。
 >それは居場所において生きているときに感じる時間、すなわち「生存の時間」なのです。

悠久の大河の流れを前にしているようなものか。日の下に新しきものなし。

 >現在のように、どんな存在も経済成長に結びつけて解釈してしまう社会に生きていくことが苦しさを感じさせる理由は、「生きていく」という存在のために必要な「生存の時間」が「競争の時間」に置き換えられてしまい、前後が切れた「生きている」という状態に置かれるために、〈いのち〉が続きにくくなり苦しくなるからです。

我々は、勤め人のように時間を売って生活しているのですね。’競争の時間’ の中にも、’命の洗濯’ をする時間が必要になりますね。

 >「生存の時間」を取り戻すためには、どうすればよいでしょうか。それには、苦しくても、できる範囲で自分の〈いのち〉を、地球という〈いのち〉の居場所に与贈し続けることです。与贈を継続していれば、やがて〈いのち〉の「ドラマ」が生まれて「生存の時間」が広がっていきます。 

時間を売ることなく生活できると良いですね。我々にとっては、定年後の生活のようなものか。楽しみですね。



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